忘却という幸せ

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ベランダに蛭がいた。父親に「こんなところに蛭が居る」と言うと、「これは蛭じゃない。なめくじだ。」と。言われてみればそのようだ。蛭はこんなに太くない。蛭となめくじの区別もつかなくなってきた。ところでなんでベランダになめくじが。四十九日もとっくに過ぎた事だしもしやあいつの生まれ変わりか。まさか俺に逢いに来たのか。でもなめくじだ。いけない。これじゃあいけない。このベランダは南向きだからこんなところに居ては明日の昼間には乾涸びて来世に行ってしまうぞ。前世くらいなら覚えてられるのかもしれないが前前世なんて覚えてられるのか。どうなんだ鬼太郎。前前世なんて無理ですよお父さん。

最近、どんどんデティールを忘れてゆくんです。細かい印象とか忘れてゆくんです。だんだんとあいつは仏のような笑顔になっていってもう後光でも差すんじゃないかっていうくらい。後光なんて似合わないのに。大事なのは細かい思いでなんかじゃなくて今自分がどう思っているか、という事だよな、って自分に言い聞かせてる。そうゆう意味では今これが正しいのだと思う。だから別に良いんだけど、何か足りないっていうか、軽い。そう、軽い。この軽さがミライを不安に思わせるのかもしれない。頭の中は南西諸島の白浜と碧い海になってきてどうやらこれは現実逃避。時間の止まった処に行きたいんだろうな。

先日のサマーソニックでの豪雨により財布がお亡くなりになったので、今日同じとこの違う財布を購入した。CORBOというとこで、革のバッグとか財布とか小物とか作ってて、池袋のパルコの中もこの前見たんだけど、決めきれなくて今日原宿の直営店へ。革小物を扱っているが店内のBGMははっぴいえんどだった。然程広く無い店内をじっくり見て気になった財布を購入。修理やメンテナンスはいつでも持って来てください、との言葉に職人を感じた。何かを売ってお金を貰う以上、こうでありたいものだ。

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